貴重な収入源となっていた南部地域が分離・独立で苦境に立つ東アフリカの国「スーダン(スーダン共和国)」。188万平方キロメートルと日本の約5倍の国土をもち、人口4,053万人と言われています。ハルツームが首都。アラブ人はじめヌビア人など200以上の部族が存在しています。公用語はアラビア語で、英語も通用するほか、部族語多数あり。イスラム教、キリスト教、伝統宗教が存在し、17世紀頃フール・スルタン国が栄えた(現ダルフール地方中心)と言われています。19世紀頃オスマン・トルコ帝国支配下のエジプトの侵攻でスーダン北部が支配されてしまいました、1881年から約17年「マハディ(救世主)」と称する指導者ムハンマド・アフマドによるマハディ国家建設がされましたが、それもイギリス鎮圧で消滅。1899年からはイギリスとエジプトとの共同統治が始まり、1922年南部スーダン封鎖を経て1955年には南部スーダンの自治・独立を要求する軍・警察の一部による武装蜂起を許してしまい、これがいわゆる「第一次内戦」と言われるものです。翌1956年スーダン共和国として独立を果たします。ところが1958年に軍事クーデター勃発でイブラヒム・アッブードゥ軍事政権となり、1965年総選挙によりウンマ党・国民統一党連立内閣が成立するも、またしても起こった1969年の軍事クーデターでガファール・ニメイリ軍事政権となり、国名も「スーダン民主共和国」へ改称されました。1972年のアディスアベバ和平成立で、1955年から延々続いた第一次内戦もようやくその終結を迎え、明るい兆しが見え始めたかに当時は思えましたが、その先に待つまた長い紛争を誰が予想できたでしょうか。

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